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嫌いという感情の裏がナントカ 2010年09月02日 思考垂れ流し トラックバック:0コメント:0

本日のあるpostについて誤解を作ったかどうか…は、
自意識過剰な僕ちゃんの判断にすぎませんが
さておき、長文として立て直したい部分もあるので、せっかくだからここで。

嫌いという感情の裏には何があるのかな。
「そこそこ信用していたけど全く裏切られる事態…」というのは定説。
そのほか、例えば相手が、普通なら我慢すべきところを耐えず、はちゃめちゃなことをして、そのくせ「自分も常識が許すのならそれをしたいのに」とかいうところからくる、怒りに近い嫉妬か。

これは、某あ○ら勢以外のTLを見ていたら、
「○○が嫌い」というpostが視界に流れてきたので、
その嫌いというのをさらっと言えちゃう人の心理に対して
わかりもしない分析をかまそうとしただけであって、
議題に「具体的な対象者はいません」。いないから厄介な文章になったのやも

これを発言した人に関しても、対象者はたぶんいない。
私に向けられたわけでもなく、特に仲良くなってたというわけでなく
2日ぐらい前にフォロー返したぐらいの文字通り「知らない人」の
発言に対して想起しちゃっただけであって、大した意味はないのです。

ただまぁ、なんだろ。
たとえば冗談とかツンデレとかで嫌いというのには、なんら問題もないとは思うのだけど
「心底の嫌悪感」について表出させる必要性は、あるんかなぁ。
というところが。まだよくわかっていないだけ。
誰得?的なところで引っかかってしまうのです。お子様自覚もありますが
思うのは自由だけど、できるだけ頭の中でやればいいんじゃないか、などと
(そんな理由で本人の意思により、これまで某掲示板本体もガチで眺めたことはない。
 まとめサイトとかをチラっと眺めることがある程度。色んな意味で耐性に欠けてるのやら何やら。)


たとえば相手に徹底的に離れてほしい場合とか、
プライベート以外、仕事とかでどうしても変えたい事柄があるとか、
そういう意味での「理由」が存在するなら仕方はない、と思うけれども。
本人が見てないのだから、というのも、僕はわからんでもないけれど。
特にそういうことでないなら。どうなんでしょ。


でもこれ、別段「周囲へのdis」に限った話ではないんだよなぁ。
「自分自身をdisってたら、その自分と同じ体験を持つ人が
 深く傷ついてどこかへ行ってしまった」

というお話もどこかに転がっていたりしました。\気をつけねば/
基本的にあまり良いものを生まないという印象は抜けない。

とはいえ私だって過去に、何かや誰かについて嫌いという表現を
したことぐらいはあるだろうし、完全にどうこう出来る話でもなく
いかに聞き流せるかというのが本来の正しい歩き方なのでしょうが。
食いついてgdgd考えるの大好きですね。
⊂( ^ω^)⊃ <いいかげんにしろですね、わかります。




今日の夕方、仕事帰りなのか、それともこれから始まるのか、
とにかくトラックに乗ったおっちゃんが
すげぇニコニコ…というかニヤニヤしながら出て行く姿を見送りまして
なんかいいことあったんかなぁとか、帰ってからいいことあんのかなぁとか
プラスにせよマイナスにせよ、想像働かせてるときは なんか幸せだ。
いいよね。ああいう顔。少しうらやましいぜ!

テーマ:ヒトリゴト - ジャンル:小説・文学

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