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ほしいものが何なのかわからなくなる構図 2011年04月21日 思考垂れ流し トラックバック:0コメント:0

このついーとについて。

昔は、自分が生み出したものにそれなりの重さを課してた。ナルじゃんってレベルで好きだった。 でも最近は、ふとすれば「彼ら」はふらりとどこかへ行ってしまいそうな軽さしかない。何が変わってしまったのかもよくわからない。

娘や息子が上京して離れていくような?いや体験ないからしらんけど。。^o^ 同じ場に留まらなくても 一応自分と繋がっている ことは事実なんだけど。留めておけるだけの動機が今、ないような気がする。からっぽ。


風呂の中でなんかもやもやと考えておりましたら。
最初は作曲の話だったのに。なにやらわけのわからん方向へ飛んでしまいまして
140字で分割ついーとするには なかなか面倒くさい長さになってしまったので
こっちでぐだぐだとまとめてしまいます。



自分の作品を「ナルってぐらい好きだったー」の具体例としては、たとえば
2004年とか2005年あたりまでは「規約ガッチガチ」だった。
一応BGMとして使ってもいいよってことにはなってたけど、
厳守を表記していたリンクウェアは実は「作品の知名度をどうにかする」
っていう明確な意図のもとだった。
少ないリスクでリターン必須だったんです。心理的に(最悪

でも今となっては、正直に言ってしまえば
仮にウェアを守らない人がいたとしても怒りは沸かないだろうし、
何かしら改変を加えられたりしても痛くも痒くもないような気がする。
名前を偽られることだけはさすがに響くとは思うけど


んでこれって 思えば作曲に限らず、わりと何でもそうってことよね。
要するに、執着すればするほどに痛みが増す。苦しみが増える。
そしてそれを周囲にぶつけようものなら、苦しみは他人にも飛び火することになる。
事態を避けるためには「方向転換」「見方を変える」ってことしか思いつかず、
自分の中ではその切り替えに わりと成功してしまってる…と、思うんだよね。
そしてだんだん「諦める」「手放す」「席を譲る」ということに馴れていく、
馴れていくほどに、自分の思いに対して「本気を出さなくなる」。
痛みは時間の経過が忘れさせる。でもきっと痛みと一緒に大事なものも忘れている。

ぶつからなければ心穏やかでいられる。
心穏やかでいることは自分にとっては幸せなこと。
でもそれによって、時々「ひとりぼっち」という感慨にも襲われている気がする。

なぜに、怒ったとか傷ついたいうときに、そのまんまに伝えることができないだろう。 
伝えた後のことが面倒くさいと思って距離をとってしまう。さらに言うなら
面倒くさいと思われるであろうことも」面倒くさいんだよね。
感情にまで侵食する怠惰の重症


もしかしたら潜在意識として 好きな対象(世界)から見て自分は「都合のいい存在」でありたいのかもしれない。
それは、仮に相手にとって都合の悪い対象となったとき、関係を繋ぎとめられるだけの価値を自己に見つけられないからか?


なぜそんなに?
物事にできるだけ執着しないという選択によって「関係性に執着している」矛盾。
自分のことを寂しがり屋だなんぞ思ったことない。
ひとり遊びもひとり歩きも、昔から得意だった。今だってそう。
それ以外のことを煩わしいと思ってた時期すらあった。(小学らへんとか。
物理的にはひとり置かれても全然平気だと思うけれど
たぶん「集団の中」とか「すでに繋がった関係性」の中から
精神的な意味で切り離れたり浮いたりすることにはダメージ受けるのかな。

だけどそのために犠牲にするものは、いささか間違えている気がするよ。
昔のような一途成分は補完できるのかなぁ。

テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

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